年間10組様限定

沿革

大徳寺

大徳寺は京都府京都市北区紫野にあり、臨済宗大徳寺派の大本山である。開基(創立者)は大燈国師宗峰妙超。応仁の乱によって荒廃したのち、一休和尚が復興に尽力したことは有名である。安土桃山時代には豊臣秀吉や千利休が大徳寺の古渓宗陳に厚い信頼を寄せたことから、戦国大名による塔頭建立が相次ぐなど盛隆を極める。

武野紹鴎や千利休が参禅した侘び茶大成の地で、現在でも塔頭寺院である聚光院が三千家の菩提寺となっており、茶の湯文化との関わりが非常に深い。このことからも分かる通り、大徳寺は日本文化に多大な影響を与え続けてきた寺院であり、本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具など多岐に渡って貴重な文化財を残している。

大徳寺地図

黄梅院

黄梅院は大本山大徳寺の塔頭寺院の一つである。永禄5年(1562)に織田信長公の父信秀公の追悼菩提のため、羽柴(豊臣)秀吉公に普請を命じ、小庵、黄梅庵を建立させた。これが黄梅院の始まりである。

境内には千利休作庭の直中庭や千利休の茶道の師である武野紹鴎作の作夢軒などがある。庫裡は現存する禅宗寺院の庫裡としては最古のものであり、国の重要文化財にも指定されている。モミジと苔の豊かな寺院であり、特に新緑の時期から秋にかけて素晴らしい風景を見せてくれる。

大徳寺地図
黄梅院境内地図

表門

毛利元就の子、小早川景隆の寄進によるもので、なだらかな兜型の門となっている。平成17年に修理を施されている。

唐門

本堂と同じ天正4年に完成。重要文化財に指定されている。

本堂

天正14年の落慶で、禅寺特有の様式である本瓦葺入母屋造り。内部は室中と仏間を中心に、檀那の間・衣鉢の間・礼の間・大書の間が配されている。

破頭庭(はとうてい)

本堂前庭に位置する。手前半分に白川砂、向かい半分に苔を配し、観音・勢至の2石でまとめられた簡素な庭。

直中庭(じきちゅうてい)

千利休66歳の時に作庭されたもの。秀吉公の希望により、軍旗瓢箪をかたどった池を手前に配した、モミジと苔の豊かな枯山水庭園である。

自休軒(じきゅうけん)

大徳寺開山大燈国師の書「自休」を扁額に懸けて軒名とした。武野紹鴎作のお茶室「作夢軒(さくむけん)」がある。

作仏庭(さぶつてい)

本堂北側に位置し、北東に枯山水の滝を表す立石を配している。南への流れの中に小船を浮かべ、本堂前の破頭庭へと連なる作りとなっている。

庫裡(くり)

表門と同じく、小早川隆景が寄進したもの。切妻造妻入・柿葺の建物で、日本の禅宗寺院で現存する最古のもの。